愚か者からテクニカルダイバーへ 8

数十年前のテクニカルダイビング出会う前のお話です。

このシリーズの話は実際の出来事を元に書いていきます

 

登場する人物名は仮名を使う事もあります。

インストラクターとしてではなく一人のダイバーの物語です。無謀なダイビングで愚か者にならないようにしてください。

前回のお話はこちらから!

九死に一生を得てからは、25m以深に行くことが怖くなりました。それはダイビングが出来なくなるかもしれない。

当時ダイビングショップを始めてから数年目で30歳手前。店が継続できないことが一番怖かったかもしれません。

ダイビング後には関節が痛くなり、後遺症と思われる中でダイビングを続けていました。

この時期から深場はもちろん、色々な面で安全に対する意識が向上し、スキルや知識の対する意識も一変しました。

少しこの時期のスティングレイ・ジャパンを紹介すると

ごく普通のダイビングショップの楽しいツアーを日々考え、行っていました。

定番のBBQツアー、伊豆半島サファリツアー、花火ツアー、グルメツアー、キャンプツアー!

クリスマスにはサンタクロースも!

しかし、これらのツアーはダイビングを楽しんでいるというよりは、アフターダイブを工夫している時期でした。

その他、北は北海道から

南は沖縄、

海外も、バリ島、サイパン、シパダン、パプアニューギニアなど

この様なツアーはもちろん、他ショップでも行っておりダイビングショップとしては特色もなく、

「多摩市唯一のPADIのダイブセンターです」しか特徴?のないダイビングショップでした。

そんな中で他店よりは少し力を入れていたのが、水中撮影でした。

続く