愚か者からテクニカルダイバーへ 7

数十年前のテクニカルダイビング出会う前のお話です。

このシリーズの話は実際の出来事を元に書いていきます

 

登場する人物名は仮名を使う事もあります。

インストラクターとしてではなく一人のダイバーの物語です。無謀なダイビングで愚か者にならないようにしてください。

前回のお話はこちらから!

どの位の時間が経っているのか・・・何をしていたのか。

たまに締め付けられる感じがするが、左手を上げる様な感じがすると楽になる。

何だか訳が分からず、目の前は真っ白なまま。

すると突然、勢いよく水面に飛び出て、目の前に水面の景色が!

何が何だか分からないが、潜っていたのは確かで数十m離れた所に船が。

コンパスを確認してから何分経ったのか分からないが、とにかく船に上がろうと

船長を呼ぼうとするが、極度の疲労感から声がほとんど出ない。このままではまずいと思い

ホイッスルを使い何度も吹く、ホイッスルすらしっかり吹けないが何とか気付いてもらえた。

シングル装備なのに、梯子を上がる体力もない疲労感。やっとの思いで船上へ。

コンピューターを確認すると最後に見た時間から数分で水面に。減圧停止もしていない状況で

極度の疲労と皮膚のピリピリ感。これは減圧症だ。一緒に入ったスタッフの姿は船上にはない。

船はまたブイに係留した。水面には泡が見えたのでスタッフは無事だと安心した。

その時、ふと思ったのは店が2年目で今は自分しかインストラクターが居ないことで、店を続けられないのでは。

ダイビングが出来なくなるのでは、そんなことを考えながら、スタッフが浮上してくるのを待つ。

数分後スタッフは戻ってきた。この時に愚か者の野村は死んだ。

水中で数分間意識がなく、奇跡のような九死に一生を得た。この日を境に

ダイビング人生が変わり、人生が変わった。

この様な無謀なダイビングは絶対にするべきではありません。ちょっとだけなら、今まで大丈夫だったからなどの

積み重ねで命を落とすことになります。20代後半でこの様な経験をして、現在のスティングレイ・ジャパンの

スタイルが出来上がりました。

テクニカルダイビングに出会うまで、そしてディープ、ケーブ、レックへと続きを書いていこうと思います。

続く